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淡路恵子 病気

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女優の淡路恵子(あわじ・けいこ、本名井田綾子=いだ・あやこ)さんが、


11日午後5時24分、食道がんのため東京都港区の病院で死去した。80歳。東京都出身。


松竹歌劇団から銀幕に転身し、幅広いバイプレーヤーとして戦後の映画界を支えた。


私生活では俳優の故萬屋錦之介さんらと2度の結婚、離婚を経験。


4人の息子をもうけたが三男が交通事故死、四男が自殺するなど波乱続き。


近年はバラエティー番組で再び脚光を浴びていた。  


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淡路さんのマネジャーや長男で俳優の島英津夫(52)によると、淡路さんは体重が32キロまで減り、昨年7月1日に入院し検査を受け、食道と直腸のがんと肺気腫が見つかった。


直腸がんは範囲が広がりすぎていたため摘出せず、人工肛門と胃ろうの処置を受けた。  


当初は1・5センチ程度で治療を続けていた食道がんも、10月には5センチほどに肥大。


水も吐き出すような状態だったが復帰には前向きで、今月9日にマネジャーが見舞った時も「元気になって早く帰りましょう」と話したという。  


1948年に松竹歌劇団に入団し、翌年黒澤明監督の「野良犬」で銀幕デビュー。


豊田四郎、川島雄三ら名だたる監督の下、喜劇からシリアスな作品まで幅広く活躍した。  


私生活では、フィリピン人歌手の故ビンボー・ダナオさんとの間に息子2人をもうけたが、65年に結婚生活を解消。


翌年、萬屋錦之介(当時中村錦之助)さんと再婚、2男を出産した。


だが87年に離婚。90年と2010年には三男と四男に先立たれた。  


近年は辛口トークでバラエティー番組に引っ張りだこ。


芸能界屈指のゲーム好きとして知られ、フジテレビ「アウト×デラックス」では「ゲームをやりすぎて腱鞘(しょう)炎になった」というエピソードを披露し若者にも親しまれた。  


昨年夏に病室から電話インタビューに応じ、11月に放送されたTBS「金曜日のスマたちへ」が最後のテレビ出演。


12年11月に撮影し、公開中の映画「四十九日のレシピ」が遺作となった。  


淡路さんの遺体は11日夜、四男が眠る豊島区の仙行寺に運ばれた。島が同所で会見。


昨年10月に淡路さんが「写経を書きたい」と言い、治療のモルヒネの影響で目が見えづらい中、同30日に「南無妙法蓮華経」と3回書いた紙を「最後に書いた言葉だからあなたにあげるわよ。形見だと思ってよ」と島に手渡した。  


波乱の人生を送った母親を、島は「すごい人。何事にも後ろを向かず、子供より旦那さんのために生きてきた。


錦ちゃん、錦ちゃんと」と強調した。淡路さんの自室には萬屋さん、三男、四男の写真があり、お供え物を欠かさなかったという。  


葬儀・告別式は東京都港区の青山葬儀所で。


日取りは未定。喪主は島=本名・晃一郎(こういちろう)=さん。 


 ◆淡路 恵子(あわじ・けいこ)本名井田綾子(いだ・あやこ)。

1933年(昭8)7月17日、東京都生まれ。48年松竹歌劇団に入団。芸名は憧れていた宝塚スター淡島千景にちなんだ。歌劇団では草笛光子らとともにステージに立った。16歳の49年、黒澤明監督の「野良犬」にレビューの踊り子役で抜てきされ終生の代表作となった。57年「女体は哀しく」「下町」でブルーリボン賞助演女優賞。他に東宝「駅前」シリーズ、「男はつらいよ 知床慕情」(87年)などに出演。最近はバラエティー番組などで活躍。04年毎日映画コンクール田中絹代賞受賞。



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